趣味のひろば-31
バリヘ、お嫁に行きます

堀川建築設計事務所  堀川 岩夫

 ある日「ねえ~お父さん、私生まれてから29年、本当に好きになった人もいなかったし、私を本当に必要としている人にも出会わなかったの」「まだまだ人性は永いよ、そのうち大切な人があらわれるよ。あせらづにもう少しお父さんの娘でいた方がいいと思うよ」「うん、そうなんだけど私を本当に必要としている人が日本にはいなかったんだけど、外国にいたみたいなの」「外国?」「うん、バリ島にいたの」「バリって!あのインドネシアのバリ島?」「去年、家族でバリへ旅行に行ったとき泊まったホテルのホテルマンを覚えているでしょう?帰ってきてから毎日メールがきているの。 どうしても、もう一度会いたいんだって・・・。私もバリが大好きだし、日本よりあっているみたい。バリへお嫁に行ってもいい?」「え!」一瞬言葉を失った。「お母さんは、何と?」「お父さんに聞いてごらんと、言っている」かねがね娘たちには、二十歳までは親の責任で育ててあげるけれど、それから先は自分の人生なんだから、自分で決めて悔いのない人生を送るようにと話していただけに、今更無下に「ダメだ!」とは言えない。それにしても娘が外国に嫁ぐ事になるなんて夢にも思っていなかった。「本当に冷静になって考えて、それでも自分の人生に悔いはないんだね」「うん、幸せを、二人で築いていきたい」それから 半年後、娘は私が一番大切にしていた人形を携えてバリヘ旅たった。本当に良かったのだろうか? いくら本人が望んだ事とはいえ、絶対に反対すべきではなかったのか。男親のゆれる気持ちのなかで夢を見ている様な気がしている私でした。半年後家族皆と娘の友人の8人で結婚式にバリ島へ飛んだ。成田から7時間、時差1時間のデンパサール空港に到着。大勢の家族の出迎えを受け、バリ島の北部ロビナまで3時間の山越え。ようやくホテルに着き心地のいいガムラン演奏でホット一息をついた。まずは乾杯!ビンタンビールが喉を潤した。明日から三日間に亘る結婚式である。

 朝7時、彼の姪っ子が民族衣装を持って迎えにきてくれた。さっそく妻と着替える。もうバリ人だ!車で30分彼の実家であるスランヤ村に着いた。ゲートには歓迎の垂れ幕、村中の人々の好奇な目、目、目。今日は娘が仏教からヒンズー教に移る儀式の日だ。南国の花と果物が供えられた祭壇の前での怪しげなガムラン演奏と祈り。やがて目にもまばゆい民族衣装をまとった娘が、一羽のニワトリを抱きかかえて庭にしゃがみこむ。竹篭が被せられた。いっそう激しくガムラン音楽が奏でられる。この世に生を受けてから6ヶ月めの儀式との事。刀を背に付けた彼が娘の手を携えて祭壇に祈る。続いて、娘が椅子に腰掛け口を大きく開ける。村の長老がヤスリで歯を削り始める。「何だ!」「あれはね、成人の儀式で、争いごとを避けるという意味で、犬歯を削る儀式なの。ちょっと痛かったけどね」娘の説明でなんとなくナットク。平和を愛するヒンズー教の教えなのかもしれない。(父は、本当はもっと別な意味での儀式ではないのかなとも考えた・・)それにしても、酒がまったく出てこない。酒盛りをする風習はまったく無い国だ。ビールが恋しい、すでに気温は35度を超えている。今日から娘はヒンズー教の信者になった。

 2日目の朝、今日は結婚式の日だ。村中の人々が待つ最前列に座られされ、儀式が始まった。ガムラン演奏と祈り。村の人々が米と花、線香をバナナの葉に包んだジェヌカンと呼ばれるお祝いを持って集まってくる。娘夫婦のきらびやかな民族衣装が暑い土地に溶け込んでいく。さまざまな儀式が行われ、聖水をいただき、二人が両親の前に座り、感謝の意味をこめ私ら夫婦の膝に頭をつけ、なにやら祈りを捧げる。娘の目には涙があふれれだしている。長老が差し出す婚姻届に署名をした。娘は本当にバリにお嫁に行ってしまった。

 3日目、今日は披露宴だ。朝早く娘が迎えに来た。「お父さんが来るのを村の人が待っているよ」駆けつけると、何と1頭のブタが足を縛られもがいているではないか!長老が大きな包丁を持って私に近づいて来た。ブタを刺すようにとジェスチャーをする。飛び上がって逃げ回った。男達が半日かけて作り上げたブタの丸焼きが、式場のテーブルの中央にデンと据えられる。バリ料理の最高のごちそうである。陽気な女性たちは、とにかくよく喋る、よく笑う、バナナの葉を器用に切りきざみ花や小鳥を作り、南国特有の色鮮やかな花と共に式場の飾り付けをする。村のどこかでこうしたお祝い事等があると、村の人々が全員で協力し参加する。日本からは消え去ってしまったこのような風習が、娘をこの地に呼んだのかもしれない。またガムラン音楽が奏でられ、夕方になると村の人々がお祝いに集まって来る。バナナの葉にブタ肉とご飯を盛り付け、おいしいバリコーヒーと共に一人一人に振舞われる。彼に頼み込んだビールが我々にだけ届いた。生ぬるかったが今日はじめてのビールで喉を潤した。やがて、隣のヌガラ村から来た人々によるジェゴック演奏とバリダンスが始まった。男達が歓声をあげて踊りに参加する。身振りおかしく踊り、まわりの人達の笑いを誘う。これが本当のバリダンスなんだと思った。父に指名が掛かる。日頃日本で踊りなれている私、迷わずダンスに興じた。腰を左右に激しく振るバリダンスではあるが、父は腰を前後に振り、踊り子に迫った。うまく踊り子がすり抜けていく。村中の人々のヤンヤの喝采を浴びる。大きな笑い声と大きな竹筒が奏でるジェゴック音楽とダンスが、更に異国情緒を盛あげる。夜遅くまで笑い声が続いた。空を見上げると二人を祝福するかの様に、南十字星が光輝いていた。何もかにもビックリだらけの結婚式であったが、そっと涙をながした娘の顔を、今も忘れる事が出来ない。
 娘、実華(みか)のバリでの名前は、マデ・ミカヤニである。こうして、娘はバリへ嫁ついで行った。