趣味のひろば-45
松田建築設計事務所 松田 道佳
わたしの趣味は「ベースボール」です。
子供の頃からボールを持ち、一人で朝から夕方、暗くなるまで遊んでいました。時には兄たちから三角ベース野球に入れてもらえることもありましたが、身体が小さくレベルの差があり、すぐ誘われなくなりました。
その後、小学3年生くらいから狭い空き地で、友だちと軟式テニスボールで三角ベース野球をするようになりました。このテニスボールのいいところは、いろんな変化球が投げられ、打つことが面白くなってくるところで、反対に三振すると悔しくて涙が出そうになったものでした。
そのうちにその三角ベース野球に上級生が混じるようになり、負けることが多くなりました。その頃の野球道具は満足なものはなく、バッドは木片、グローブなしで毎日野球をしていた記憶が鮮明にあります。
小学5、6年の頃には試合、練習を大人と一緒にすることもありましたが、その辺から負けたくないという気持ちが強く湧くようになった気がします。
中学では迷わず野球部に入部しました。4月に新入生の80人くらいが野球部に入部しますが、その全員が外野後方の松林の中を1m間隔に配置され、毎日夜遅くまで球拾いやしごき等を受けます。それが原因で退部する人も多く、8月には80人いた新入部員も半分くらいになりました。
中学時代の練習で非常に大変だったことが、今思い返すと3つほどあります。
○練習後のボール確認で1個でも足りないと、1時間の正座を強いられました。非常につらく、終わっ
た後立つことが困難で、這いつくばって教室に帰った覚えがあります。
○訳も分からない理由で海岸線絶壁(45~50度)40m余りの距離を往復10回するように言われまし
た。登るときは手で砂をかくので爪の間は砂だらけ、下りは勢いがつき途中何回か転げ落ちて身体
中砂だらけ、今思えばよく怪我をしなかったなと感心しています。
○夏休み、練習を終える頃に高校生になった部活のOBの先輩2人が突然やってきて、「うさぎ跳びで
グラウンド10周しろ!」と命令。もうすでにヘトヘトの体で出来る訳がない、内心お前たちがやれ
と叫びながら、それでも転んでは起きを夢中で繰り返しました。そしていつの間にか暗闇の中、迷
惑な2人の先輩は忍者のごとく、姿を消していました。また、その2人の先輩は高校の野球部を退部
したとのことでした。
野球を通じて大変だったことはもちろん、楽しかったこと嬉しかったこともたくさんあり、それらを経験できたからこそ、今の忍耐力・精神力に繋がっているように思います。
現在は、野球・ゴルフ・ランニングと楽しみながら練習をしています。
ゴルフは40~50歳までは、年に数回しかプレー出来ず、ハンデキャップが24あたりを上ったり下がったりでさほど面白いとは思いませんでしたが20を切るころには球の当てる場所によって微妙な違いを出せるようになってきました。今日いいスコアが出ても、次はどうなるか分からないのがゴルフだと思い、そのギャップがまた楽しい、面白いと感じています。
野球は、協会親睦野球大会に参加し、頑張りたいと思っています。
最後に辿り着くところは「練習」でした。
好きな言葉「練習は嘘をつかない」「継続は力なり」です。
ナイスショット! いい球こい!